丹後半島ツーリング          2008年6月1日(日)   晴れ   京都府京丹後市・宮津市


梅雨入り前のいい天気に恵まれ友人と二人で京都府最北端の丹後半島を一周する事にしました。
いつものところに集合am7時半出発。R176から青垣〜県道429の狭い峠を超えて福知山へR9号「牧」からR176を北上。与謝峠のトンネルを出ると、そこは通称「ちりめん街道」です。古い町並みが残っています。やがて国道321へ最初の目的地の「網野」に到着です。

網野で昼食をすませてからR178を時計回りに海岸線を走ります、気温も23度前後でとっても心地いい風が過ぎ去っていきます。
鳴き砂の琴引浜から立岩と京丹後の景勝地を見て経ヶ岬にたどり着く。途中寄るはずの日本の棚田100選である「袖志(そでし)の棚田」は見落とし通過してしまったようです。ここは次回の楽しみにとっておくことにしました。(強がり?)

経ヶ岬(きょうがみさき)灯台まで行きました400mの道のりです、少し上りが続く山道を歩くこと6分ぐらいで灯台に到着です。(少し道を間違って山頂に行ってしまいました)海上保安庁にお願いもう少しわかりやすい看板をお願いします。(わが勝手な意見かも?)そんなこんなで素晴らしい灯台に出会うことができました。友人はもうあかんと悲鳴をあげて早々に下山、日ごろの運動不足がよくわかった瞬間でした(笑)。

その後は伊根の舟屋からR176を経て帰路に着きました。 330kmの走行距離


伊根の舟屋 (みちの駅 舟屋の里伊根より)

                            


青垣と福知山を結ぶ県道429の榎峠。あまりにも狭くカーブが多く疲れました。さすがにすれ違う車は1台もありません。 R176与謝峠を下り宮津方面に向かうちりめん街道、古い街並みがところどころ見られる。前を走っているのが友人です。
府道312を走っていると「小野小町」案内看板が・・・・早速寄って見ることに。
これは小野小町のお墓です。
小野小町公園の蓮池。小町像の前にありました。
絶世の美人小町に出会えました、何かいいことがあるかも・・・。
平安時代百人一首で知られ、六歌仙の一人である小野小町が年老いて日本三景・天の橋立また成相寺の詣でるため旅をする途上、ここ五十河に隠れ住み「九重の花の都に住みはせで はかなや我は三重にかくるる」の辞世の句を残しこの地で世を去ったそうです。
小野小町のお墓がある京丹後市大宮町五十河の集落。

(地図)
昼食は網野にあるばらずしの店「とり松」さんです。このばらずしは当地の郷土料理で有名との事?。 さぁー腹ごしらえもできたのでぼちぼち出かけましょう・・と余裕の友人ですがこの後恐怖の山歩きが待っていたとは・・・・。

私は余裕です・・・・


琴引浜の鳴き砂に行ったのですが・・・ロックバンドイベントの騒音??ため
まったく鳴き砂の音が聴けない(怒)泣き!。

でもね、砂浜で波と遊ぶ可愛い親子に出会いましたよ。とてもいい思い出になりました。
間人浦(たいざうら)にある立岩(たていわ)高さ20m周囲1km柱状玄武岩 間人浦で立岩を眺めているとトンビが岩の山の上昇気流に乗ってのんびりと飛んでいました。
経ヶ岬灯台に続く山道、灯台までは400mぐらいあり友人が息ついた上り坂です。 灯台に続く山道より見た日本海。
駐車場にバイクを置いて「さぁー灯台まで行くで〜」っと言ったら「冗談やろー」と友人の返事!山頂で、「もうあかん」っと言ってダウンしてしまったのでした。 経ヶ岬灯台
近畿地方最北にあるこの灯台は明治政府による富国強兵に伴う海運助成政策の一環として、明治31年(1898年)に12月に設置され。約2年の歳月をかけて完成したそうです。
現在は光の届く距離は約22海里(約40.7km)海面から148m地上から12mあります。(地図
経ヶ岬灯台山頂の展望台から見た袖志方面(R178) 経ヶ岬灯台より見た日本海。


伊根浦の舟屋 (地図)
伊根湾は潮の干満差は極めて小さく年間50cm程度で三方を山に囲まれた静かな天然の港です。延長約5kmの伊根湾海岸沿いにおよそ350世帯の家屋が立ち並ぶ舟屋の里、その景観が実に素晴らしい。
当時レンズを回転させる機械は「水銀槽式回転機械」と呼ばれるもので、1893年(明治26年)フランスのプール・デーュ氏が重いレンズを円滑に回転させるために発明したもで世界中から注目され、1897年(明治30年)に初めて日本に入ってきたそうです。


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