四国ツーリング2 2011年10月17日〜21日
四万十川の宿では満天の星空と天の川を観察して、翌日は中村に向かう途中沈下橋を3か所見学して、川に沿った狭い道を走っていると、ダンプカーに出会うはめになった、こちらは下がることできずダンプカーに20m下がってもらい無事通過とあいなったので〜す。 中村からR56で宿毛へ、そして県道320で高茂岬へ。その途中「紫電改」が旧南宇和郡城辺町久良の長崎鼻沖200m、海底41mにねむっていたが昭和53年11月に発見され機体を引き揚げ展示されていました。 高茂岬の帰り道に、石垣の里「外泊(そとどまり)」を発見ちょこっと寄ってみることに。。。。。 翌日は、八幡浜から四国最西端の地「佐田岬半島」へ。 |
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四国最西端地「佐田岬と灯台」です。すぐ先は大分県が見えます。 |
10月19日 | ||
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朝の四万十川この時期の朝は霧がかかって幻想的な景色が。。。。 | 四万十川と壊れた古い沈下橋。 (地図) | |
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四万十川中域の「勝間沈下橋」 (地図) | ||
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四万十川の「佐田の沈下橋」このあたりの流域は流れもゆっくりして舟遊びのできる舟がたくさんありました。 | ||
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四万十川左岸の道は狭く走行には注意!ですぞ。 | ||
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紫電改記念館前の石碑と 原型をとどめた「紫電改」を昭和54年7月14日に引き揚げられた様子の写真。 | ||
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館内の紫電改は細部がわかるように再現されています。展示品には細かい部品等がたくさんありましたよ。 | ||
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「紫電改」が眠っていた旧南宇和郡城辺町久良の長崎鼻付近の漁港。 昭和53年11月に発見されました。 (地図) | ||
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愛媛県の最南端にある「高茂岬」(こうもみさき) | ||
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きれいな海岸線の県道34を走ると(汗!狭い道)高茂岬です。誰もいません。。。空にはトンビが舞い海は青く、それはそれは雄大な景色。。。(地図) | ||
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![]() 漁港の山側が石垣の里「外泊(そとどまり)」地区です。 (地図) |
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漁港の湾にある生けす。石垣の里から見える景色、とってもいいですね。 | 石垣のほとんどが昔のままだと聞きましたよ。きれいに積んであります。 | |
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ここ「石垣の里・外泊」の石垣についての歴史は。。。隣接する中泊地区の人口が増加したので、幕末に集落の指導者が分家移住するため発案して、次男三男を対象に興して山の斜面に自ら石を積んだようです。なお、全戸が入居したのは明治12年ごろだったようです。 | ||
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「だんだん館」とは食堂です。ここでお昼ご飯を頂き、また窓からみる風景はいいものでした。 | ||
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10月20日 ここから佐田岬半島です。 | ||
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伊方町から佐田岬半島を見ると細長い半島が感じられる。灯台駐車場まで25km地点です。 (このあたりの地図) | ||
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佐田岬漁港 あと少しで岬です。(道幅狭いので注意!) | 国道九四フェリーが大分間を70分で繋いでいる三崎港。 | |
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佐田岬駐車場に到着です。半島の先の白いのが灯台です歩いて20分かかりましたぞ。 | 豊後水道を行きかう小さな漁船。。。関サバ・関アジを漁しているのでしょうね。 | |
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この灯台は大正7年4月に設置されたようです。 | 四国最西端です。。。。。。ただそれだけのこと。。 | |
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佐田岬の南沖合は650m先に岩礁があり潮流が速いのが確認できます。。。。豊後水道を挟んでその先は大分県が望めますよ。 | ||
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愛媛テレビの撮影!。ここ佐多岬半島からヒヨドリの大群が大分の佐賀関半島を目指し渡っていきます、その様子を撮影していました。 数百羽の大群が飛び立つと上空から猛禽類のハヤブサなどが攻撃する、それを避けようと海面すれすれに逃げるヒヨドリ。。。。そんな小さなヒヨドリにがんばれ!頑張れ!と祈ってやりました。 |
「幸せのくまさん」半島の岩がクマの顔に見えます? ※下の写真の○印のとこから見えました。 |
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佐田岬駐車場から灯台まで片道1.8kmあります。(徒歩20分ぐらいかなぁ) |