播州赤穂 坂越(さこし)   赤穂市坂越          2007.04.28


播州赤穂といえば1702年の赤穂義士四十七士の討ち入りで有名ですが、ここ坂越は波静かな瀬戸内海の坂越浦にあり、原生林生島(いくしま)や、周りは緑豊かな山々、そして清流を誇る千種川など美しい自然に恵まれた港町の面影と古い町並みが今も残っていました。
坂越の豪商奥藤(おくとう)家によって赤穂の塩が高瀬舟に載せ千種川から荷揚げされここ坂越の港から船に積んで全国に出荷したそうです。(千種川旧坂越橋近くに高瀬舟船着場跡がある)
華やかな大石神社や赤穂城と違った、となりまち坂越を友人と訪れたツーリングでした。ルートは国道2号(姫路)から海岸線の県道250号を赤穂方面に・・・220kmの道のり。


先にちょっと室津に寄ってみました。(地図)
元禄の江戸時代の室津は西国大名が参勤交代する時の宿場町であり箱根に次ぐ宿場町として栄えました。ここ室津には6軒も本陣があったそうで、その本陣跡があり海上交通の要衝であった面影と町並みが昔を忍ばせてくれました。
室津の町並みを代表する商家が今もその姿を残す。
秀吉が大阪城築城の際西国の大名が石垣を作るための巨大な石を室津港で陸揚げする時海中に落としたというものが湊口番所跡に引上げて置いてありました。友人と比べても大きさが半端じゃないですね。(400年も沈んだままだったそうです)
積み込み荷揚げは潮の満潮・干潮を利用して行ったそうですよ。
本日の漁を終えた漁船が休んでいました。(室津港)
ここから坂越の町並み (地図)
瀬戸内海沿岸の多くのまちが海岸線に広がっているのに対してここ坂越は千種川と坂越浦とつなぐ「大道」(だいどう)を主軸に町が広がっているのが特徴だそうです。ここはその大道の町並みです。 大道のまち並には入母屋の大屋根造りの酒屋や酒蔵の白壁、近世後半期から明治初期にかけての厨子二階建ての町屋が立ち並んでいる。
まちの高台よりみた生島(いくしま)と海岸線 高台より坂越大道の町並みを見る
奥藤銀行跡を利用した坂越まち並み館。
江戸時代の終わり頃も廻船で塩を運んでいましたが明治時代なると、日露戦争の資金をつくるために塩の販売は政府が行う事になり、このため船主は廻船の仕事をやめて銀行を始めたのが「奥藤銀行」です。
まち並み館内部は坂越の歴史を知る事ができる資料がたくさんある。奥藤銀行の金庫がそのまま残っていました。


友人が撮ってくれた造り酒蔵とのスナップ
坂越大道の造り酒屋の玄関
奥藤家由来の品が寛文年間(1661〜1673)に建てられた酒蔵に展示されている。この船は当時塩を運んだ奥藤船「長安丸」の模型。 当時廻船に積んでいた七輪(酒蔵の展示)
奥藤船「長安丸長助」宛ての塩7410表の仕切り(納品書)文久3年(1863年)江戸品川北新堀の北村富之助よりと書いてる。 JR赤穂線の「坂越駅」にて一休み・・・でも何もない駅前でした。