六甲山   931m   兵庫県神戸市       2007年2月4日   2008年1月26日   2009年2月7日


念願の六甲山です、有馬温泉10時出発、ロープウェイそばの魚屋道(ととやみち)から登りはじめることになりました、この魚屋道はその昔灘から有馬温泉に魚を運んだ道で知られています、荷物を背負って行き来した先人のパワーと苦労には驚きを感じます。 昨日降った雪が残る緩やかな登山道(どちらかと言えば遊歩道)が続き、ほとんどが赤松等の高木が多く有馬の景観はあまり望めませんでしたが天気も良く気持ちのいい六甲山です。途中YMCAの可愛い元気な子供達と若い先生との出会いもありました。

ゆっくりしたペースで1時間半で山頂に到着、以前米軍のパラポラアンテナがあったところが最高峰です、ここまで来るとさすが気温も下がり樹氷が見られましたよ。一軒茶屋の側から神戸(目的地阪急の岡本)までは下りです。本庄橋跡で昼食をとり休憩です、ここ本庄橋は魚屋道の中間地点になり魚を受け渡しをしたそうです。今はその石橋(面影は広場に残っています)はなく木造の橋がかかっていて下を流れる小川は住吉川の上流です。山の中の静かな佇まいの横池を通るとそこは視界の開ける「風吹岩」に到着です眼下に見えるのは、西宮・芦屋の街並みで、ここはのんびりした時間の流れを感じる空間でした。
金鳥山をすぎて保久良(ほくら)梅林横を抜け保久良神社にお参りをしていよいよ岡本駅です。所要時間5時間30分の道のりで楽しい六甲山縦走でした。
有馬温泉側の魚屋道(ととやみち)入り口 なだらかな遊歩道が山頂まで続く
一軒茶屋付近 下りは有馬温泉方面 あと少しで六甲山最高峰です
六甲山山頂(932m)到着! 山頂付近で樹氷?が見られました
魚屋道をすすむ友人、彼は前日灘から
有馬まで歩き翌日私と来た道を戻りました、
つまり六甲山越えを一往復した訳です。
最高峰からの景観です
本庄橋跡です 周りの石は橋の面影です 本庄橋跡付近の石段
本庄橋跡の住吉川上流です 下りてきた六甲山頂を望む
のんびりした静かな佇まいの横池 風吹岩から見る西宮・芦屋の街
風吹岩の横をぬけ保久良神社へとすすむ 保久良神社のお社、秋には盛大な
御祭が行われます。境内横の保久良梅林が有名です。(阪急岡本駅からすぐ)
           「灘の一ツ火」
この石灯籠は文政八年(1825年)のもので往古は「かがり火」を燃やして中世の昔より油で千古不滅の御神火を点し続け最初の灯台として海上の船人の目じるしにされたそうです。
古くからふもとの北畑村の天王講の人々が海上平安を願う「祖神」の遺志を継承し交代で点灯を守り続けてきたそうです。
保久良神社の境内を散歩する野生の猪くんです。呼ぶと尻尾を振って近づいて来る。人に慣れきっている、困ったものです。
2008年1月26日
友人と今回は阪急芦屋川をスタート、ロックガーデン横から「荒地山」へそして六甲山頂(一軒茶屋)から魚道(ととやみち)経て有馬温泉まで歩きました。
所要時間約5時間の道のりでした。

※コース
阪急芦屋川駅〜馬の背〜岩梯子〜荒地山〜本庄橋〜土樋割〜石宝殿〜一軒茶屋〜魚道から有馬温泉へ
岩梯子の岩場を登る。 岩梯子の岩の間をくぐる。
荒地山(あれちやま)山頂(549m)です。 前方に六甲山頂まで2.3km
六甲山頂まであと少しです。
山頂手前の樹氷 六甲山町付近
一軒茶屋付近は昨夜降った雪で覆われていました。 魚道(山頂)から有馬温泉方面へ。積雪20cm
2009年2月7日
今回はひとりで阪急芦屋川からのスタートです。
高座の滝からロックガーデンそして岩吹山〜横池にちょこっと寄って芦屋ゴルフ場のゲートをくぐり雨ヶ峠〜本庄橋跡で昼ごはんです。お母ちゃんが作ってくれたおにぎりと玉子焼きそしてウインナーの野菜炒め等々とカレーヌードルとメロンパン(私の定番です)食後はコーヒーでしめます。
本庄橋跡から山頂まではあと少しです。最高峰まで行き、あとは魚屋(ととや)道を下れば有馬温泉に到着です。
今夜はRC仲間との新年会です。早い目に風呂に入って仲間の到着を待つことにした。
ロックガーデンの岩場を上ります ロックガーデンの岩も丸くなっている?
この日は気温も上がり汗ばんでくる陽気です。 急斜面には梯子が掛けられているのでありがたいネ!。
岩吹山やでちょこっと休憩です。 岩吹山から六甲山頂が見えます・・・が まだまだです。
岩吹山から横池方面へ・・・・・・・・。 芦屋の街並みと大阪湾が一望できます。
いつもの水量の横池 静かです・・・?といいたいのですが山の向こうからおばちゃんたちの大きな声が・・(姿みえず)。
山頂まであと2.3kmで〜す。 北斜面の日陰には霜柱が・・・。
本庄橋跡の石階段を上って山頂まであと少しです。 本庄橋跡の上流にある砂防ダム
山頂付近の一軒茶屋まできたよ。 ここ最高峰周辺は戦後米軍の通信の基地になっていたので長い事立ち入り禁止になっていましたが平成5年に解放され現在の姿になっています。
魚屋道にこんな看板が立っていました。歴史は古く江戸時代から魚崎から有馬に魚を運ぶため作られた道なのです。明治に入り茶屋もでき有馬温泉に向かう旅人が一服したことだろう思います。