神子畑(みこはた)選鉱所跡ツーリング    兵庫県朝来市   2012.05.12   


若葉かおる5月のいい天気に友人と朝来市神子畑の「神子畑選鉱所跡」を訪ねてきました。 (地 図)

ここは、隣町の養父市大屋町明延にある「明延鉱山」で産出した鉱石を選鉱するための選鉱場として、大正8年(1919年)ここ神子畑に東洋一(当時)を誇る規模で建設されたようです。

昭和62年(1987年)3月経済変動の厳しい時、明延鉱山の閉鎖さと伴に68年の長きに亘る操業が終わったと記してありました。
選鉱建屋は山の斜面にあり、幅110m 斜距離165m 高低差は75mあり内部の階層は22段あったようです。

主に錫の産出であったようで「比重選鉱技術」は国際的にも高い評価があって海外からも視察団が訪れるほどであったようです。

平成16年(2004年)に建屋や変電所、鉄工所や事務所が取り壊され現在は基礎のコンクリートと斜面の階段跡等が残っていました。

神子畑小学校もその面影を残していました。選鉱場の歴史やその資料・写真などが資料館にあり土・日・祝日には無料で開放されていますので見る価値十分ありますよ是非訪れてみてください。
当時の神子畑選鉱所(資料館展示写真より)


多可町(県道8号)にある平成の名水百選「松か井の水」ちょっと一服 美味しい水をいただきました。
R429側を流れる神子畑川と神子畑鋳鉄橋と。。。私。。。
神子畑と生野鉱山間(16.2km)には鉱石を運ぶ馬車道があって当時、神子畑川に架かる橋が建設されたのが、この「神子畑鋳鉄橋」です。
明治18年3月完成と記してありました。(2年間の工期) (鋳鉄製一連アーチ橋で 全長約16m 幅員約3.7m アーチ半径60m)

神子畑鋳鉄橋は現在存在する鉄橋としては3番目に古いそうです。一番古いのは大阪の心斎橋(明治6年)で
二番目が東京の弾正橋(明治11年)だそうです。
歴史的価値があるようで国指定重要文化財になっています。是非歴史ある神子畑を訪れてください。
取り壊された選鉱場跡 資料館に前に巨木のサルスベリの木がありました。
 夏に咲く花の色は白か赤かのどちらでしょうね。
  神子畑をずーっと見守ってきた事でしょう。
ムーセ(フランス人の技術者)旧居・ムーセハウス写真館。
 土・日・祝オープンで無料でした。
鉱石を運ぶためのケーブル式の線路跡でしょうか。
明延1円電車。。。
 昭和4年に明延鉱山とここ神子畑選鉱場を結ぶ(6.1km)鉱石輸送用の明神電車が開通。昭和20年にこの電車に従業員や家族の交通便をはかるため客車が連結されたのがこの電車です。
当初は50銭だったが昭和27年に1円になり明延鉱山の閉鎖とともに昭和62年に廃止さてたそうです。
体育館のようです。(校舎はありませんでした)
往時は子供たちの元気な声が飛び交っていた事でしょう。。。。。今でも聞こえてきそうな気がする神子畑小学校でした。
  大きな銀杏の木も綺麗な若葉をつけています。     そして学校そばの民家の古いたた住まいがっとってもいいです。