三木城跡 ツーリング 2008.10.04 (土) 晴れ 兵庫県三木市上の丸
三木城は室町時代の後期、東播八郡の守護代となった別所則治によって明応年間(1492−1501年)に築かれました。 戦国時代末、五代城主別所長治の時、天下統一を目指す織田信長の家臣羽柴秀吉に攻められ、秀吉は三木城を取り囲むように30余りの付城を築き兵糧攻めを行いました。 この戦いは三木合戦といわれ天正六年(1578)4月より2年余りに及びました。籠城の悲惨さから「三木の干殺し」ともいわれ有名な出来事です。 天正八年(1580)1月17日、飢えに苦しむ家臣や領民の命を救う事を条件に、長治ら一族の自害によって開城し、籠城した人々の命が救われました。その時長治享年23歳でした。 後は秀吉の家臣が城代として在城し、慶長五年(1600)の関ヶ原合戦後は池田輝政が姫路城主となり、その支城として存続しましたが、大阪夏の陣(1615)の直後、江戸幕府が打ち出した一国一城令によって、元和三年(1617)に明石城が築城された際廃城となりました。 |
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本丸跡にある長治の像。 | 本丸跡は公園の広場になっていました。 | |
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![]() 本丸跡西側にある土塀 |
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長治辞世の句 「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我が身とおもえば」とある。 |
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本丸井戸(かんかん井戸) 三木城本丸後に残る唯一の井戸で直径3.6m深さ25mの大きなものです。 |
三木城跡から市内方面を望む、近くには美嚢川が流れている。 | |
三木市は地場産業として全国的に有名な金物の町です、三木城本丸跡に三木市立金物資料館がありました。先人たちが残した鍛冶の技術そして継承してきた歴史を知ってみてはどうですか。 主なものは「鋸(のこぎり)・鑿(のみ)・鉋(かんな)・鏝(こて)・小刀(こがたな)があり中でも鏝は全国99%の占有率を誇っています。そしてその数じつに数十種類千品目以上になるそうですよ。 |
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三木市立金物資料館玄関 | 玄関前のあった「村のかじや」を演奏する碑。 | |
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鋸の刃を作る機械・・・・・です。 | のこぎりの展示その他興味深い作品が数多くありました。 | |
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三木市本町にある黒田金物店です。歴史を感じる建物でした。 |