◎庚申とは
干支の組み合わせの一つで十干(甲乙丙丁戊巳庚辛壬発)と十二支(子丑寅卯辰巳申酉戌亥)を甲子、乙丑、丙寅、と組み合わせると全部で60種類の組み合わせができます。その一つが「庚申」で、「かのえさる」「コウシン」と読む。これを暦に当てはめると、60日ごとに庚申日が訪れ、60年に一度庚申年が回ってくる。
「還暦」祝いは、この60年の干支の組み合わせが一巡したことを意味してます。
大正13年(1924年)西宮市に作られた甲子園球場はこの年の干支(1番目)から命名されている。
◎庚申信仰
庚申信仰に関しては色々な説がありますが、中国の道教の守庚申というのが、奈良時代に日本に伝来され、日本固有の信仰と交じり合い発展したのではないかと言われてます。
仏教では極楽往生を説くのに対して、道教では現世利益が叶えられるとあって江戸時代には民間信仰として庶民に広まりました。
◎三尸説(さんしせつ)
庚申信仰では、人間の体内には「三尸の虫」がいるしています。
三尸とは上、中、下の三種類の虫で上尸は頭に居て目を悪くして、顔の皺をつくり、髪の毛を白くします。中尸は腸内に居て五臓を悪くし、悪夢を見させ、大食いさせます。下尸は下半身に居て命を奪ったり、精力を減退させます。
三尸の虫は人間の寿命を司る「死神」から使われており、庚申の日の夜、人が寝ている間に人間の体から抜け出して、天上界に昇り、死命神にその人間の行状を洗いざらい話してしまい死命神はその報告を聞き悪い行いをした人の寿命を縮めてしまうと考えられてます。
◎庚申待
庚申の日には人々が一晩中寝なければ三尸の虫は人体から抜け出せません。
徹夜して眠らなければ、報告を阻止でき、死命神はその人の寿命を決められないわけです。
そこで人々は夜を徹して、呪文を唱えたり、お茶をのんだり、歌合わせしたり、双六に興じたりしました。現在では酒宴会です、古来では定期的パーテイーともいえます。これを庚申待ち 守庚申といいます。
この社交の記念碑や供養塔等として建てられたのが庚申塔です。
庚申塔の形は石版碑、角柱、円柱、笠付、祠、灯篭から自然石までいろいろあります。自然石の場合は「庚申」の文字だけが一般てきです
仏教系では、青面金剛を庚申信仰の本尊とするものがもっとも多く見られます。
庚申塔に浮き彫りされる青面金剛は、各手に、剣、弓、矢、斧、などの武器を持ちなかには、仁王のように邪気を踏みつけて居る像もあります。 このタイプは江戸とその周辺に多いことから、江戸庚申塔呼ばれます。その多は蓮台に乗り、夜明けを待つという意味で雌雄の鶏や、日輪と月輪も配されてます。
|