志手原の庚申さん  兵庫県三田市

西所の庚申さん

志手原 西所の庚申さん

三田では最も古いと言われる庚申塔は、志手原三叉路脇(写真)にあります通称「西所の庚申さん」で寛文11年(1671年)のものです、碑面に花頭を施し「庚申供養 同行村 施主住谷」の銘があるが残念ながら石材表面が荒れて一部判読ができない。
下部に刻まれた蓮華を見る事ができる。碑面中央部にひび割れがある。

最後の庚申の日に西所隣保の方が線香7本と供物をそなえてご詠歌と般若心経を3回唱えて、供え物を分けるとのこと。

 (現在県道改修工事のため移転検討中)

◎庚申とは
干支の組み合わせの一つで十干(甲乙丙丁戊巳庚辛壬発)と十二支(子丑寅卯辰巳申酉戌亥)を甲子、乙丑、丙寅、と組み合わせると全部で60種類の組み合わせができます。その一つが「庚申」で、「かのえさる」「コウシン」と読む。これを暦に当てはめると、60日ごとに庚申日が訪れ、60年に一度庚申年が回ってくる。
「還暦」祝いは、この60年の干支の組み合わせが一巡したことを意味してます。

 
大正13年(1924年)西宮市に作られた甲子園球場はこの年の干支(1番目)から命名されている。

◎庚申信仰
庚申信仰に関しては色々な説がありますが、中国の道教の守庚申というのが、奈良時代に日本に伝来され、日本固有の信仰と交じり合い発展したのではないかと言われてます。
仏教では極楽往生を説くのに対して、道教では現世利益が叶えられるとあって江戸時代には民間信仰として庶民に広まりました。


◎三尸説(さんしせつ)
庚申信仰では、人間の体内には「三尸の虫」がいるしています。
三尸とは上、中、下の三種類の虫で上尸は頭に居て目を悪くして、顔の皺をつくり、髪の毛を白くします。中尸は腸内に居て五臓を悪くし、悪夢を見させ、大食いさせます。下尸は下半身に居て命を奪ったり、精力を減退させます。
三尸の虫は人間の寿命を司る「死神」から使われており、庚申の日の夜、人が寝ている間に人間の体から抜け出して、天上界に昇り、死命神にその人間の行状を洗いざらい話してしまい死命神はその報告を聞き悪い行いをした人の寿命を縮めてしまうと考えられてます。


◎庚申待
庚申の日には人々が一晩中寝なければ三尸の虫は人体から抜け出せません。
徹夜して眠らなければ、報告を阻止でき、死命神はその人の寿命を決められないわけです。
そこで人々は夜を徹して、呪文を唱えたり、お茶をのんだり、歌合わせしたり、双六に興じたりしました。現在では酒宴会です、古来では定期的パーテイーともいえます。これを庚申待ち 守庚申といいます。

この社交の記念碑や供養塔等として建てられたのが庚申塔です。
庚申塔の形は石版碑、角柱、円柱、笠付、祠、灯篭から自然石までいろいろあります。自然石の場合は「庚申」の文字だけが一般てきです
仏教系では、青面金剛を庚申信仰の本尊とするものがもっとも多く見られます。
庚申塔に浮き彫りされる青面金剛は、各手に、剣、弓、矢、斧、などの武器を持ちなかには、仁王のように邪気を踏みつけて居る像もあります。 このタイプは江戸とその周辺に多いことから、江戸庚申塔呼ばれます。その多は蓮台に乗り、夜明けを待つという意味で雌雄の鶏や、日輪と月輪も配されてます。

下所の庚申さん

下所の庚申さん

善光寺橋のたもとにある通称「下所の庚申さん」(写真)は「奉供養庚申二世安楽他 宝永五戉子年(1708年)葉月六日 同行八人 拾五人女」と刻まれています。

下所隣保の方が当番となって年6回庚申の日に線香7本、賽銭お菓子を供えてご詠歌を唱えてお祀りされている。


ご詠歌
「げに祈るかのえよいの空 運は天より授けたまわる」

◎猿田彦神  
神道系の庚申では、猿または『申』に関連づけて猿田彦神を祀るものもあります。 神話の中では猿田彦神は、天孫降臨に際し道案内をつとめた地神
(くにつかみ)一人です。 庚申信仰には三匹の猿が登場します。三尸による死命神への報告阻止という意味で、「見ざる、聞かざる、言わざる」でしられる三猿が庚申信仰に取り入れられました。三猿塔とも呼ばれてます。『三尸の虫封じ』とも言われ居ます
庚申塔の特徴は、青面金剛や三猿のリレーフ、『猿田彦』または『庚申』などの文字のいずれ
かが必ずあります。

終わりに
ここ三田市内にはわかってるだけで38箇所の庚申塔(石碑)があります、このように残された有形文化財の伝統文化をわたし達が次世代に継承していく役目があります。